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富山地方裁判所 昭和29年(ワ)159号 判決

原告

桃井義弘

被告

大山昌済

"

主文

一、被告は、原告に対し、金一七〇、七〇〇円及びこれに対する昭和二九年九月二五日から、完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の負担、その三を原告の負担とする。

三、この判決は、原告勝訴の部分に限り、金六萬円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

一、被告の被用者である大坪が昭和二九年七月二六日本件トラツクに、原木約六、五噸を積載して運転し福沢街道を北進し、同日午前一〇時一〇分頃、本件事故現場において、原告の騎乗する乗馬用馬(蘭号)と接触したことについては、当事者間に争がない。以下順次争点について判断する。

成立に争のない甲第一号証に検証の結果を綜合すると、「本件事故現場は、平野を南北に走る平担な直線道路で、附近一帯は、事故現場から北方約五〇米先に民家(永森清昌方)があるだけで、他に障害物もなく、四囲の見通しは極めて良好である。道路の幅員は約六、六米であるが、東側において幅員約一、二米、西側において幅員約〇、八米は草付となつていて、その部分は車馬の通行はできないから有効幅員は、約四、六米で無舖装の砂利道となつていること。右草付の外側は西側は約一米の小川、東側は約〇、五米の溝となつていること」が認められる。

二、右各証拠に、成立に争のない甲第二、三号証、第五、六号証、乙第一ないし第三号証に証人桃井正行、清水清泰、松浦健太郎、新川信吉、大坪順一、堀井源、山崎伝忠の各証言(甲第五号証、乙第一ないし第三号証及び証人松浦、新川の各証言中後記信用しない部分を除く)ならびに鑑定の結果を彼比対照すると、本件事故発生当日、大坪は、富山県大山町福沢から国鉄富山駅まで、被告方の事業である原木輸送に従事するため助手台に被告方の被用者新川信吉を同乗させて、原木約六、五噸を積載して、(制限積載量よりも約二噸超越)本件トラツクを運転し、福沢街道を富山市方面に向け、時速約三〇粁で北進し、本件事故現場の約一〇〇米南の地点で、前方道路の左側の草付で、ともに自転車を手にして、二人の成人男(松浦と岩城)が佇立して立話をしており、そのやや北方から原告が乗馬用の馬に乗つて道路の右側(東)を並足の速度で進行して来たのを認めたので、やや速度を減じて進行したが、右立話をしている二人連れと、右馬とが平行する状況になつた際、慢然馬と擦れ違いうるものと軽信し、時速約七、八粁の速度で、右平行する状態になつた馬と二人連れとの間を、道路の中央より約一〇糎東よりの箇所を、右馬のため僅かに約〇、六米幅の有効道路面を空けたのみで、通過せんとしたため、右馬がトラツクの接近し来たのに驚いて、暴れ出したので、原告が手を挙げてトラツクの停止を求めたが時すでに遅く、後でトラツクを蹴ろうとして、馬の右上がトラツクの車体の右端底部(アングル)に接触したので、馬はその場に急廻転し、その際馬は、左前管骨完全骨折の傷害を負い、乗馬していた原告は、右馬が急廻転したとき、右トラツクの車体にぶつかり左大骨亀裂骨折兼左外側大部打撲症の傷害を負い、右馬は右受傷の結果廃馬としてその頃と殺の止むなきに至つた事実を認めうベく、叙上認定の如き狭い道路において、自動車が道路の一方に、立話をしている通行人あり、他方に対向して進行してくる騎乗者のある馬と、両者平行する如き状況においてこれと擦れ違わんとする場合には、馬は往々にして自動車が接近してくるときに驚いて狂奔することがある動物であるから、右通行人と馬との関係に留意し、できうる限り、両者が平行しない状況において各別にそれぞれ安全なへだたりをおいて擦れ違うべく、若し、両者が道路上で平行する如き体勢を認めた場合には、一時停車して、馬が通過するのを待つて進行するか、若くはできるだけ馬から離れて反対側をこれに刺戟を与えないように留意しつゝ極度に速度を緩めて進行し、以つて危害を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、大坪はトラツク運転手として当然用うべき右注意を怠り、前段認定の如き方法速度をもつて、進行し因つて本件事故を惹起するに至つたものであると認めざるをえない。

前記甲第五号証、乙第一ないし第三号証、および証人松浦、新川の証言中、右認定とてい触する部分はいずれも信用し難く、ほかに右認定をくつがえすに足る証拠はない。

三、被告には、選任監督について過失がないとはいえない。証人大坪順一、新川信吉、片桐昌夫の各証言を綜合すると、被告方で事業のために自動車運転手を採用する場合は、自動車運転免許を得てから三年ないし五年運転経験を有しているもので無事故であることを第一条件として、それに人物調査をして採否を決め、採用決定の場合には、交通法規を遵守し、不注意による事故を起さないことを誓約せしめ、平素車を運転するについては、車体の故障不備の点があれば、直ちに申出るよう指導が行われ、貨物自動車は一〇ケ月ないし一一ケ月使うと新車と取換えられていたこと。貨物自動車を運転する場合には、助手を同乗させていたこと。本件の運転手大坪は、昭和二一年一二月一二日に、普通自動車運転免許をとり、本件事故に至るまで、引続きトラツク運転に従事していたが、本件に至るまで事故を起したことはなく、当日は助手の新川信吉を同乗させて、事故現場に赴く途中、大山町福沢、小坂地内で、トラツクを停め、日頃、道路先において、トラツクにじやれつく子供の両親に注意を与えたことが認められるが、これらの事実だけでは、いまだ被告に選任監督について欠けるところがなかつたとはいえないし、他に被告の右主張を裏付けるに足る証拠はない。

四、原告にも過失がある。

乙第二、三号証に、証人清水清春の証言によれば、原告は馬の保育及び乗馬について長い経験を有し、本件馬も平素道路上で自動車と擦れ違う際に驚いて狂奔することはない馬であることは認められるが、一般に馬の如き動物は、往々にして自動車が接近して来るときは、これに驚き暴れ出す習性があるものであるから、騎乗者は、前記の如き狭い道路上で、前方から対向して進行してくるトラツクを認めた場合には、その附近において、できるだけ安全な場所に待避するか、場合によつては下馬して馬の手綱を握り、自動車の動静に留意しつつその通過をまつて進行を始め、以つて馬の狂奔より生ずる危害を未然に防止すべき注意義務があるものというべきである。しかるに乙第二、三号証によると原告は、本件トラツクを前方に認めながら、なんら下馬することなく、かつ道路の反対(西)側において前記通行人二人が自転車を手にして佇立して立話をしている場所において、馬を道路の東側によせてトラツクを避けんとしたものであることが認められ、かような状況においてトラツクが道路の中央を通り抜けんとしたのも、両側に人、馬という障害があつたのを避けんとしたものであると考えられるので、本件馬がトラツクと接触した一因は、原告の右過失によるものと認められるのである。

なお原告は、トラツクが五、六間に近づいた時、手を挙げて停止を求めた旨主張するけれども、前記認定の如く、原告が手を挙げたのは、馬がトラツクの接近し来たのに驚いて暴れ出した後であつて、時すでに遅かつたものと認められるからこの主張は参酌できない。

五、賠償の数額。

(1)  馬の損害賠償額

(イ)  馬の価格

成立に争のない甲第四号証の一、二に証人桃井正行(後記信用しない部分を除く)桑島至郎、窪田重二の各証言に、鑑定の結果を総合すると、本件馬は、昭和一四年三月三一日出生(死亡当時十六才)の 馬で、アラブ血量五一、二五%を有し、本来競走馬として用いられて来たものであるが、本件事故当時は、競走馬としては高齢すぎて、無理であつたので、種付馬として、飼育されていたものであること。原告は、昭和二八年九月、桃井正行に本件馬と代金二五萬円で売却する約束を結んだことが認められるとともに本件事故による死亡当時における正確な取引価格は、これを認めるに足る資料はないけれども、おほむね右価格に近い(若しくはそれをやや上廻る)ものであることが推認できる。証人桃井正行、清水梅治の各証言中、右認定にてい触する部分は信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、原告は、右馬は死亡当時妊娠馬であつた旨主張し、乙第二号証証人桃井正行、田村忠義の各証言には、これに副う供述があるけれども、本件馬が当時妊娠馬であつたと断定しうる資料としては未だ十分とはいえず、他に原告の右主張を肯認するに足る証拠はない。

そうすると、死亡当時における本件馬の取引価格は、金二五萬円と認定するのが相当であると考える。

(ロ)  馬の死亡によつて得た原告の利得

証人桃井正行の証言によれば本件馬のと殺に要した支出は金一、〇三〇円であつたと認められるが(運搬料については、これを認めるに足る証拠はない)成立に争のない乙第三号証によると、原告は右と殺料を差引いて、その肉を売却した収益として、金一二、五〇〇円を利得したことが認められる。証人桃井正行の証言中右認定にてい触する部分は信用できない。

(ハ)  以上損益相殺した結果、被告が支払うべき馬の死亡に因る賠償額

前記(イ)の金二五萬円から(ロ)の金一二、五〇〇円を控除した金二三七、五〇〇円が結局本件馬の死亡による損害額であるが、前認定の被害者の過失を斟酌し、被告が原告に支払うべき賠償額は金一六萬円をもつて相当であると認める。

(2)  原告の傷害の損害賠償額

証人西勉の証言によると、原告が本件事故に因つて生じた傷害の治療のために、前記中央病院に昭和二九年七月二六日から六回通院加療し、治療代として金一、三八〇円を同病院に支払つたことが認められるが、通院に要した自動車賃として、如何程支出をなしたかはこれを認めるに足る確証がない。(乙第三号証によると、治療代と通院自動車賃とあわせて金六、〇〇〇円位支出したと、原告は述べているのであるが、これだけでは、通院自動車賃を適確に認定する資料としては不充分である。)右治療代として支出した金一、三八〇円が原告の右傷害によつて蒙つた損害と認められるのであるが、前認定の被害者の過失を斟酌し、被告が原告に支払うべき賠償額は金七〇〇円をもつて相当であると認める。

(3)  慰藉料の額

原告が、右傷害によつて、精神上の苦痛を受けたことは、証拠に照すまでもなく当然である。そこで被告の支払うべき慰藉料の額について考えるに、前記傷害の部位、程度、前記認定の双方の過失、乙第三号証に証人西勉の証言によつて認められる、「農業を営む原告が、農繁期であるにも拘らず、右傷害の治療のために、前后二四日間、前記中央病院に自動車で通院加療を受けたこと。」その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を斟酌し、原告に対し金一萬円の慰藉料をもつて相当であると認める。

六、結論。

以上のとおり、原告の本訴請求は、馬の死亡による損害として金一六萬円、原告の傷害の治療に要した費用による損害として金七〇〇円、慰藉料として金一萬円合計金一七〇、七〇〇円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であること本件記録上明らかな昭和二九年九月二五日から右支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分に限り、理由があり、その他は失当なのでこれを棄却し、民訴第八九条、第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 水谷富茂人)

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